Seimei Shrine, Seimei Festival

清明神社の清明祭(せいめいさい)は、京都市にある清明神社で毎年秋に行われる、安倍晴明公を讃える祭りです。安倍晴明は平安時代の陰陽師(おんみょうじ)で、占術や天文学、風水などに優れた人物として知られ、清明神社は彼を祀る神社です。

清明祭は、晴明公の徳を称え、神社に参拝する多くの人々が厄除けや開運を祈願する場となっています。祭りの期間中には、神事や舞の奉納、神輿(みこし)や稚児行列などの伝統的な儀式が行われ、厳かな雰囲気の中で神聖な行事が進められます。また、境内では占いに関連するイベントや、陰陽道にまつわる品々の販売なども行われることがあります。

The Seimei Festival at Seimei Shrine is held every fall at Seimei Shrine in Kyoto to honor Abe no Seimei, a renowned onmyoji (master of yin-yang) from the Heian period. Abe no Seimei was known for his expertise in divination, astronomy, and feng shui, and the shrine is dedicated to his memory.

The Seimei Festival is an occasion for many visitors to pay their respects to Seimei and pray for protection from misfortune and good luck. During the festival, traditional ceremonies such as sacred rituals, dance performances, portable shrine processions, and children’s parades are held, creating a solemn and sacred atmosphere. In addition, the shrine grounds often feature events related to fortune-telling and items associated with onmyodo (the Way of Yin and Yang) for sale.

photo equipment : K-1 Mark II + HD PENTAX-FA 43mmF1.9 Limited

撮影者プロフィール

京都写真家 武蔵

1998年シンガポール駐在員時代に写真を始め、以来20年以上。京都をこよなく愛し、海外でも作品を展示。国際的視点で活動する写真家。光と影が織りなす瞬間に心を寄せ、普遍的な美の記録に取り組んでいます。

活動の中心は、インバウンド観光の急増などで悪影響を及ぼしている京都の景観を記録保存することに焦点を当てています。風景や人物などジャンルを越えて、被写体の「らしさ」とその瞬間の空気感を大切にしています。訪日外国人向けの撮影や、国内外での展示、文化交流事業への参加など、写真を通じた国際的な表現活動にも力を入れています。


2008年日本写真家協会(JPS)展 入選(プロ写真家への登竜門)

入選作品「祇園雪花」

主な活動内容
・風景撮影
・観光地や伝統文化の撮影
・ポートレート撮影
・商品撮影
・展覧会への参加

使用機材
Canon EOS R6 / その他レンズ各種

展示・掲載実績(一例)
・海外展示:米国 国際交流基金ロサンゼルス日本文化センター主催イベント /在ニューヨーク日本国総領事館主催桜祭り

・集英社 女性誌「éclat」2012年4月号「京都・奈良 桜の絶景めぐり」に掲載 

・パーフェクトポーションズ フォーシーズンズのカタログに掲載 

・海外向けインバウンドプロモーション用写真提供 

京都を撮り続けて20年以上。

光と影の中にたたずむ町家の軒先、静けさに包まれた早朝の石畳、そして暮らしの匂いが残る裏路地の風景。

観光パンフレットに載る“京都らしさ”ではなく、
そこに生きる人の営みと、時を重ねてきた空気―

そうした“ほんまもんの京都”を記録し、伝えていくことが、私の写真家としての使命。

しかし、その京都が、いま静かに壊されつつあります。

京都の町家は、風景ではなく生活そのもの

簡易宿所という名のビジネスによって、“暮らしの記憶”ごと売り飛ばされていく。

観光は京都を支える大きな産業です。それは間違いありません。
しかし、その観光が、「住む人のための京都」から、「見せ物としての京都」へと変質させてしまったのなら、それはもはや文化破壊です。

私が撮りたいのは、“観光地”ではない。
人が暮らし、集い、語らう「生きた京都」。

私はこれからも、京都を撮り続けます。
まだ残された“ほんまもんの京都”を、記録し、伝えていくために。
そして願わくば、「観光よりも、暮らしが主役のまち」に戻れるよう、少しでも力になりたい。

京都は、見るものではなく、生きる場所。

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