昔の新京極・寺町京極には、京都の暮らしと文化が息づいていた。地元の人々が日常的に行き交い、和菓子屋や履物店、古本屋など、個性豊かな商店が軒を連ねていた通りは、まさに「京都らしさ」が滲み出る場所であった。そこには、観光地でありながらも地元の生活が溶け込んだ、穏やかで温かな空気が流れていた。
しかし今、かつての面影は急速に薄れつつある。観光客をターゲットにした画一的な店舗が増え、地元住民の足が遠のいたこの通りは、どこにでもある「観光消費空間」と化してしまった。インバウンド需要に依存する形で進むこの変化は、短期的な利益を追うあまり、地域の文化的深みや多様性を犠牲にしているようにも感じられる。
新しい流れを全て否定するつもりはないが、かつてあった地に足の着いた賑わい、顔の見える商いこそが、この街の本当の魅力だったのではないだろうか。便利さと引き換えに失われたものの大きさに、いま一度目を向けるべき時が来ている。










撮影機材:Ricoh GR