京町家新築工事見学会に参加

京町家の新築現場を拝見する機会に恵まれました。

これまで「京町家」といえば、改修や保存が中心であり、新たに建てられることはないものと思っていました。しかし実際に、新築の京町家がひっそりと、しかし確かな意思のもとに建てられている現場に立ち会い、「京都の景観」が“未来に向けて再び築かれている”という事実に、大きな希望を感じました。

行政書士として京都に根ざして仕事をする中で、長年、町家が取り壊され、無機質な集合住宅やコインパーキングに変わっていく光景を幾度となく見てきました。そのたびに、歴史と風土がにじむ京都の町並みが失われていくことへの悲しみを感じてきました。

「京都の景観」は、文化財のように遠くから眺めるだけのものではなく、人が暮らし、働き、営みを続けてこそ息づくものです。だからこそ、今回目にした“京町家の新築”という動きは、単なる建築行為を超え、景観の「再生」への兆しとして、私には映りました。

そして同時に、国際観光都市=京都のあるべき姿として、これらの技術が、日本文化に深い関心を寄せる外国人の若者たちを含む、未来を担う世代に継承されていくプロジェクトの展開の必要性を、私は強く感じました。

京町家の新築という希望の灯火を、単発の出来事で終わらせることなく、「継ぐ人材を育てる」ことと並行して進めていく——そうした動きがあってこそ、真の意味で“京都の景観の再生”が実現するのではないでしょうか。

京町家の技術は、単なる建築技術ではなく、日本の美意識や生活文化そのものの体現です。それを言葉や映像だけでなく、現場で、手を動かしながら体得できる環境を整えることこそが、真の景観保全に直結していくと考えます。

今後、行政や地域社会、そして私たち専門職が連携し、この文化と技術の継承に取り組む仕組みづくりが進むことを願ってやみません。

6月14日開催「見て学べる京町家ツアー」(主催:NPO法人JapanCraft21, NPO法人祗匠会, 祗園内藤工務店)
約90年ぶりの本格的な町家新築現場の見学

NPO法人JapanCraft21 https://www.japancraft21.com/ja

NPO法人祗匠会 https://shishokaigion.wixsite.com/home

祗園内藤工務店 https://www.gion-naitou.kyoto/

撮影者プロフィール

京都写真家 武蔵

1998年シンガポール駐在員時代に写真を始め、以来20年以上。京都をこよなく愛し、海外でも作品を展示。国際的視点で活動する写真家。光と影が織りなす瞬間に心を寄せ、普遍的な美の記録に取り組んでいます。

活動の中心は、インバウンド観光の急増などで悪影響を及ぼしている京都の景観を記録保存することに焦点を当てています。風景や人物などジャンルを越えて、被写体の「らしさ」とその瞬間の空気感を大切にしています。訪日外国人向けの撮影や、国内外での展示、文化交流事業への参加など、写真を通じた国際的な表現活動にも力を入れています。


2008年日本写真家協会(JPS)展 入選(プロ写真家への登竜門)

入選作品「祇園雪花」

主な活動内容
・風景撮影
・観光地や伝統文化の撮影
・ポートレート撮影
・商品撮影
・展覧会への参加

使用機材
Canon EOS R6 / その他レンズ各種

展示・掲載実績(一例)
・海外展示:米国 国際交流基金ロサンゼルス日本文化センター主催イベント /在ニューヨーク日本国総領事館主催桜祭り

・集英社 女性誌「éclat」2012年4月号「京都・奈良 桜の絶景めぐり」に掲載 

・パーフェクトポーションズ フォーシーズンズのカタログに掲載 

・海外向けインバウンドプロモーション用写真提供 

京都を撮り続けて20年以上。

光と影の中にたたずむ町家の軒先、静けさに包まれた早朝の石畳、そして暮らしの匂いが残る裏路地の風景。

観光パンフレットに載る“京都らしさ”ではなく、
そこに生きる人の営みと、時を重ねてきた空気―

そうした“ほんまもんの京都”を記録し、伝えていくことが、私の写真家としての使命。

しかし、その京都が、いま静かに壊されつつあります。

京都の町家は、風景ではなく生活そのもの

簡易宿所という名のビジネスによって、“暮らしの記憶”ごと売り飛ばされていく。

観光は京都を支える大きな産業です。それは間違いありません。
しかし、その観光が、「住む人のための京都」から、「見せ物としての京都」へと変質させてしまったのなら、それはもはや文化破壊です。

私が撮りたいのは、“観光地”ではない。
人が暮らし、集い、語らう「生きた京都」。

私はこれからも、京都を撮り続けます。
まだ残された“ほんまもんの京都”を、記録し、伝えていくために。
そして願わくば、「観光よりも、暮らしが主役のまち」に戻れるよう、少しでも力になりたい。

京都は、見るものではなく、生きる場所。

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