代表プロフィール


松谷 大慶(まつたに もとやす)

1955年、福井県若狭町の寺に生まれる。

三人兄弟の次男でしたので理想や責任を押し付けられず、のびのびと育てられました。

中学生の時にアポロ月着陸のテレビ中継を見て、神技のような同時通訳に衝撃を受け、「英語を得意にしたい!」という強い気持ちを持つようになりました。少年の心を震えさせたのです。英語の先生から海外文通を勧められてカナダの中学生と文通を始めました。短波放送で米軍の極東放送にチャンネルを合わせるようにもなりました。

高校は地元に新しく開校された県立美方高校に入学。高校での得意科目は英語と数学。理系クラスに所属し、大学で数学を専攻したいと希望を抱いていたのですが、化学の成績が伸び悩み、私立文系に変更するよう進路指導を受けました。

実家が寺なので、仏教系の大学からの入学願書が送られてきましたが完全無視。NHK教育テレビの「若者の広場」という番組で京都で行われている若者たちの活動を観ているうちに、学生の街・京都に憧れるようになりました。高野悦子さんの著書『二十歳の原点』を読んでいたこともあって立命館大学経営学部を受験。得意科目の英語と数学のお陰で楽に合格しました。大学進学に対しては熱い思いが無かったので、浪人する気も全くありませんでした。

大学では勉学よりも学外でのサークル活動に専念してました。ユースホステル活動に参加し、市内の学生や社会人の人たちとの交流を深めました。無口な性格が次第に外向性の性格に変わっていきました。サークルではサブリーダーやリーダーを務め、学生・社会人対象の英語同好会も主宰しました。色んなことを経験し、人との出会いを大事にしていた学生時代でした。大学にはあまり足を向けず、好きな英語の洋書購読には出席していました。試験前に販売される講義ノートを覚え、単位を取得していた不真面目な学生だったのです。

大学卒業して直ぐに社会人になる気が無く、親のスネをかじり通訳ガイド養成所大阪校に進みました。国際コミュニケーション能力を身につけるため、2年間大阪で過ごしました。夢を追い求めても現実は厳しく、生活収入の糧を得るためには軌道修正していかなければならず、下宿の管理人のおじさんに説得され、一念発起し公務員試験に挑戦することにしました。

故郷に戻り、就職浪人生活。公務員試験の受験勉強に励みました。法学部出身ではない私には法律科目の受験勉強が一番大変でした。弱気になることもありましたが諦めずに短期集中決戦で臨み、京都府上級行政職に合格できました。

京都府庁 旧本館

京都府での公務員生活は教育庁から始まりました。障害児教育一筋の父にとって、配属先が学校教育課の障害児教育担当だったのがとても嬉しかったようです。おまけに国際障害者年でした。

元々「公務員志望」でなかったので、他の多くの職員さんとは異なる意識で働いていました。英語やIT関連のスキルをアップするため、実力試験や資格試験を受験し自己啓発に励んでいました。ひそかに公務員の世界以外への転職のチャンスを伺っていたのです。

高校教育課では、得意の英語を使って「語学指導等を行う外国青年招致事業(JETプログラム)」を担当しました。外国青年に対してのオリエンテーションで、英語でカウンセリングについて講義しました。

次の異動希望先を知事部局の国際課にしたところ、希望が叶えられて国際課へ異動となりました。

シンガポール事務所のあるマリーナベイ地区

国際課5年目に庁内公募(海外駐在員)にチャレンジしたところ、最終合格者に選ばれ、霞ヶ関(自治体国際化協会本部)やシンガポール(同シンガポール事務所)で仕事をさせていただくチャンスを得ました。地方公務員でグローバルに活躍できるのは最高の幸せ。

 

しかし、霞が関での仕事をしている時に人生の憂き目に遭遇。上司や同僚の激励で苦境を乗り越えることができました。心に深い傷を負ってのシンガポールへの赴任となりました。

丁度赴任した年にFM日本語放送局が開局となり、寂しさを慰めてくれたのがラジオ番組でした。ラジオから流れる元気な女性DJの声に日々励まされました。

現地FM日本語放送FM局のイベントに出演

本帰国前にシンガポールFM局に生出演

また、初めての海外生活での心強い味方は事務所のシンガポール人スタッフでした。シンガポールでは日本人は「外国人」。現地スタッフのサポートやアドバイスで何度も助けられました。困った立場に置かれた時に投げかけられる優しい言葉の有り難さが心に沁みました。

シンガポール政府職員研修所のIT講座(PCメンテナンス)を受講

シンガポールのIT先進国家政策の調査も行いました。シンガポール政府職員研修所のIT講座に特別に受講させていただきました。それがきっかけとなり始めた情報処理資格の勉強の成果を活かすために、駐在員業務を終え京都府に戻ってチャレンジしたのは庁内公募(IT政策監付職員)。
こちらも最終合格者に選ばれ、地域の情報化・情報セキュリティを担当。

シンガポールで趣味として写真撮影を始めました。無趣味な人生からの脱却を図ったのです。

京都に戻ってから、写真サークルに入り、撮影の腕を磨き上げていました。写真コンクールなどで高く評価される度に、写真の世界に没頭するようになりました。プライベートでは「フォトグラファー 武蔵」と名乗っていました。東日本大震災が契機となって、インバウンド促進が撮影活動の目的になったのです。ロサンゼルスとニューヨークでの日本関連のイベントで作品展示のチャンスを頂戴しました。

仕事のほうでは、京都コンベンションビューローで国内外の会議の誘致、京都府国際センターで地域の国際化推進や留学生支援、京都産業21(中小企業支援機関)では景況調査や経営支援の仕事もさせていただきました。

府庁最後の年には、アジア太平洋地域の政府職員の皆さんの京都での研修の企画・運営で英語を活かすことが出来、英語で始まった京都府での公務員生活を英語で締めくくることが出来ました。

定年退職後、インバウンド業界の民間会社(英語担当)での勤務を経て、行政書士事務所を開業しました。

2021年3月 金融庁「国際金融センター」英語対応可能な士業に登録。
海外向け日本での創業支援Webサイト:https://business.matsutani-gyosei.com/

東京・大阪の企業顧問
京都市主催留学生向け就職セミナー講師
京都府商工部OB会役員

資格:情報処理技術者資格
   シンガポール公務員研修所「PCメンテナンス講座」修了
   国内旅行業務取扱管理者、旅程管理主任者

モットー:プラス志向、不可能な事は無い

好きな言葉:一期一会

趣味:旅行、写真

写真活動


                                  

参考:
日本写真家協会JPS展
公益社団法人日本写真家協会の一般公募展。プロの写真家への登竜門となっている。

妙心寺退蔵院でのスチール撮影
モデルは元ホリプロ女優の女性シンガー 香寿美さん

ニューヨーク桜フェスティバル 
主催:ニュー・ヘリテージ・シアター・グループ、在ニューヨーク日本国総領事館、後援:日本クラブ、NY日本商工会議所
2012年4月14日(土)にサクラパークで記念すべき第1回の開催。隣接するグラント将軍国立記念公園では「ハーレム・フォー・ジャパンTOMOフレンドシップ・コンサート」が催され、日本から歌手の加藤登紀子さんが参加。

ロサンゼルス日本文化紹介イベント
アメリカ非営利公益法人米国コヤマダ国際機構(総裁:小山田真(ハリウッド俳優)主催の「第2回全米武道祭」の併催イベント。国際交流基金共催、京都市後援。レドンドビーチ市で開催。京都の伝統工芸品の展示、日本文化の紹介。